あしたも晴れ!人生レシピ ★人生の苦難その後を生きる ▽こんな話

Eテレ 2022.11.25
ショックな出来事があっても 人間の成長がある。大阪のクリニック放火事件の院長妹 兄の患者に寄り添いたい。バスジャック被害女性 子供の居場所を作り 正しいことでなくとも大丈夫と見守る。イラクで人質となりバッシングを受けた今井さん どんな境遇にある若者でも、自分の未来に希望が持てる社会をつくりたい。
【ゲスト】ジャーナリスト 江川紹子 【講師】オークランド大学心理学部プロフェッサー 宅香奈子
【司会】賀来千香子,小澤康喬【語り】堀内賢雄

大阪のクリニック放火事件の院長妹 兄の患者に寄り添いたい

今回は 思いがけない苦難とどう向き合うか
大変な事件に見舞われた方々が どういう気持ちの流れ・変遷されたのか お聞かせいただいた。

去年の12月 大阪市内で起きた心療内科クリニックへの放火事件。クリニックの院長や スタッフ 患者 容疑者 26人が命を落としました。火をつけた容疑者はクリニックに通っていた61歳の患者でした。

亡くなった院長の西澤弘太郎さんは、心の病を抱えた人の助けになりたいと復職などのサポートにも
力を入れていました。
亡くなった西澤さんの妹 伸子さんは 事件の当日父とともに 兄と警察署で対面したとき 父はようがんばった!と言って泣いていた。自分がつらいよりも その様子を見るのが一番つらかったです。
「助けていただいた」「今生きているのは先生のおかげです」「良くしてくださって…」そういった文章を見ると 本当にすごくうれしくて、兄がどれだけ やってきたか 皆さんのコメントから感じることが出来た。
しかし一方で伸子さんが気になったのは こうした患者さんが この先どうなっていくのかということでした。
障害者への相談・就労支援などを行っている川田祐一さんと妻の直美さんは西澤さんとも面識がありました。川田さんが支援する人たちの中には 西澤さんのクリニックに通っている人が 12人ほどいて、そのうち1人が亡くなりました。
2人は事件後 その患者たちなどとオンライン交流会を企画していて 伸子さんも 参加してもらうことにしたのです。悩みを共有できているところで お互いに吐き出せる場所をつくる。とにかく関わっていくこと。人が言うことを聞くことが大事なのではと思った。
その集いは現在 週に1回 行われ この日の参加者は 10人。今 直面している悩みなど ありのままの心のうちを話しました。
「最近 自分はウツは改善してきているけれど トラウマ反応が出てきている。なぜか知らないけど 自分は殺されるかもしれないとか 自分でもバカバカしい妄想をしているなと わかっているんですが」
「事件で身近な人が殺された影響とかもあるんですかね?」
「大なり 小なりあると思いますよね」
そして それぞれが つらい時に どのようにしているのかも 話し合いました。
「自分 ノートつけてるんですけど、不安な事あったあら いろんなパターンを考えるんです。話してみると以外と全部外れていて ぜんぜんたいしたことなかったんだみたいな」
「同じことやられていたんだ」
伸子さんも会話に参加します。
川田さんは事件後 容疑者が社会的に孤立していたと知り 人とつながることの大切さをより強く感じています。僕らも そういうふうに 孤立してしまうと 自暴自棄になって 自分の命を粗末にしてしまったり、極論を言えば 自分も谷本容疑者のようになる可能性はあると思う。こういうことが孤立を防ぐ すごく大事なことと思っている。

伸子さんは 心理学の勉強を始めました。症状や治療法などを学び カウンセリングの技術を身につけたいと考えています。孤立して追い詰められる人が少なくなるよう 周りに悩みを抱えている人がいたら よき相談相手になれればと 考えたからです。
数年前から 毎年のように病気が見つかり 前年には脳の腫瘍を摘出する手術を受けていた。寝たきりのようになって 手術で死ぬかもしれない、明日動けなくなってもいいように 動こうと思ったのがきっかけでした。
兄が実践してきた「人に寄り添う生き方」を胸に刻んでいます。
やっぱり悲しいから いっとき その悲しみに沈むことは 別に悪いことじゃないんですけど、動くことが自分を癒やす。悲しみに ひたらなくて済むかもしれないです。
自分が やれることで 困っている人に手を貸してあげる。声をかけて行く いろいろな方法があるんじゃないかと思っているので 一つずつやっていけたらいいなと思っている

(江川)この事件って被疑者が死亡していますので 被害者の遺族が犯人に対して 怒りや悲しみをぶつけることができないわけですよね。裁判も行われないので そういう中で なぜ?とか どうしたら?っていう そういう問いを伸子さんは ご自身で探そうとされてるのかなと感じました。

伸子さんが今回 取材に応じた理由の一つとして 事件から1年たとうとしているが 「悲しい事件だったね」と終わらせるのではなくて、孤立しない社会のために何ができるか 考えてもらいたい思いがあるんですね。

ショックな出来事があっても 人間の成長がある

専門家 アメリカのオークランド大学心理学部教授 宅 香菜子さんです。
ポスト・トラウマティック・グロース(心的外傷後の人間の成長)について研究されています。
心に傷を負うような ショックな出来事があったあとの 人間の成長とか 変化をする方
というのは少なくないのでしょうか?
(宅)ついつい 被害に遭われたのだから 悲しみにくれているのではないか。許せない気持ちで いっぱいに
なっているのではないか…、こちらが先入観で 相手を理解しようとしている。

(賀来)一方 私なんかは 自分だったら耐えられない 絶望の底に沈むだろうと思ったりするもんですから
見舞われた方が許せないというお気持ちが 拭えないという方たちのサポートとか フォローも大事なことではないかと 思うんですけど それについては?

(宅)本当に人は みんな違いますので やっぱり支える。 そして共に伴走する。つながりというのはとても大事だと思います。2つの種類の人がいると考えるよりは 1人の中でも 両方を行き来するという面もあると思う。だから本当に 行きつ戻りつ揺れ動くその心のありようを そのまんま理解するということが
とても大事なんです。

元患者とのオンラインでのつながりがありました。 こういったつながりの重要さ どのように感じられますか?
(江川)被害者だけでなく 依存症の方とか あるいは カルト問題で宗教2世のことが 今 問題になってますけれども、外の人たちには十分 分かってもらえなかったり あるいは うんと説明しないと分かってもらえないというようなことを 体験者であれば 率直に話し合えるとか 分かり合えるというところが あるのかな と思います。

バスジャック被害女性 子供の居場所を作り 正しいことでなくとも大丈夫と見守る

自分自身が事件の被害者になったあと それをきっかけにある活動を始めた方です。
佐賀県に暮らす山口由美子さん 73歳です。現在 夫と娘の3人で暮らしています。
2000年の西鉄バスジャック事件で重傷を負った 山口さんの顔には数十針 縫った傷痕があります。
山口さんは友人と2人 コンサートに行くため 福岡に向かう高速バスの中で 牛刀を持った17歳の少年が 22名の乗客 乗員を人質にとり バスジャックして 立てこもりました。
この事件で亡くなったのは 友人で幼児教育の教室を主宰していた塚本達子さん。山口さんが 我が子を通わせ 先生と慕っていた人でした。
まだ中学生ぐらいのか細い体格の子が 30センチちょっとある牛刀を振りかざしていて 「なんでこの子がこんなことを?」と思った。そして私も 同じぐらいの年齢の男の子がいるんですよ。
で こうしたら後頭部まで切られて…。「少年の心は 私の傷と同じくらい傷ついていたんだ」とその時感じた。
その後の報道で その少年が いじめを受け 学校にも行けていなかったことなどを知りました。
実は山口さん 3人の子どものうち 娘が中学校で不登校に。学校に行かずに家でゲームをしている姿を
複雑な思いで見ていたといいます。

山口さんは広島の病院に1カ月半ほど入院した。耐えがたい痛みで体は動かせず 無力さを感じていた時 食事も食べさせて頂く。体も きれいにしてもらう。音楽好きと知ってラジカセとテープを持ってきてくれたりして「何もできない私も生きてていい」と実感した。
退院して家族のもとに帰った後 自然と子どもへの接し方が 変わっていたといいます。
以前は「それぐらいあなたが頑張ればいいじゃない」とか 上から目線で言ってたのが、事件後は イヤだったね。つらかったね。子供に共感している私がいた。

事件から2年後 山口さんは民家を借りて 子どもたちの居場所 を作り 温かい食事を提供。子どもが自由にしたいことをやれるよう 心がけ 時には一緒に遊びながら寄り添うのです。
山口さんは今も場所を変えながら 子どもの居場所 作りを続けています。
市の施設を使用し ほっとケーキ ハッピーピバーグを開設。10人ほどの子どもが通っています。
最近では ネグレクトなど 親に養育されていない子どもも 増えているといいます。
この活動を手伝っている森田さん。不登校の経験者で山口さんの作った居場所に来ていました。今は スタッフとして活躍しています。
(森田)不登校になる過程で すごく傷ついてる 疲弊している場合が あるので、別に ここが何か すばらしいという話じゃないんですけども そういったものが あればいいな 続けばいいなという思いはありますね。
子どもが自分らしく いられることの大切さを伝えたいと「子どもの居場所」について 講演活動も行っています。
会場以外にも オンラインで参加した150人近くの聴衆に向けて語りかけます。
家庭では正しいことを つい私も言ってきましたけど、正しいことで子供は育ちません
社会に出た時のことを考えたら こうでなきゃいけないんじゃないかとか 思うかもしれないけど、つらかったね。大変だったねと返してあげられる それが一番の子供の幸せだと肝に銘じて欲しい。
追い詰められたらどんなことでもするとわかって欲しい。

70代の山口さん 体力が なくなってきても 可能なかぎり続けていきたいと考えています。
どんな自分でも大丈夫という見守りまなざしがあると、本人が感じてくれたらいいなと思う。周りが受け入れてくれたと感じたときの子供達はびっくりするほど変わっていく。その子たちが元気になって 社会に出ていって 何か 仕事やったりしてるじゃないですか。わあ すごいなと思ってね。生きがいでもないけど 自分が生きているという実感がある」

(賀来)自分を受け入れてもらえるという 環境だったりすることが どれだけ 人の人生に左右するかなと
思ったことと 「子どもは正しいことだけでは育ちません」って おっしゃったのも すごいなと思いながら でも どこか納得。

山口さんは事件を起こした少年とその両親に直接会って謝罪を受けているそうです。一緒に お墓参りもして そして少年には どうして こんなことを起こしたのか よく考えてほしいと伝えたそうです。
また山口さんは犯罪被害者支援に関する 講演会も行っていまして 許せないという気持ちは 当たり前のことであると。寄り添って思いを聞いてくれる人がいることを願うと おっしゃっていました。

(江川)言葉の中に「子どもでも追い詰めたら何でもしますよ」という話がありましたよね。
ですから恐らく この事件の少年も ある種 追い詰められていた ということなんだと思います。
同じような事件って 起きてますよね。自分の命なんか どうでもいいと。死刑になりたいとかですね。
逃げようとか 助かろうとかっていうのがない分 おっしゃったように 何でも やっちゃうみたいな そういうことに なりがちですよね。
ですから どうでもいい命じゃないと。どうでもいい人生じゃないよ ということを 何か それぞれが自分で思えるようなことをしたい。それが こういう悲劇をなくす。もとを小さくするというかですね。そういうことを 目指してらっしゃるのかなと 何となく思いました。

山口さんは事件の前は 自宅で洋裁の仕事をされていまして、子どもの居場所作りというのは 全く違う分野への新しいチャレンジだった。

ポスト・トラウマティック・グロース(心的外傷後成長)

(宅)トラウマの研究では 次のような内容の成長があると考えられています。
・人間関係における成長…つらい経験から 人の心の痛みに敏感になったり 思いやりを持てたりと 人との関係が変化する。
新たな可能性…それなしでは ありえなかったであろう活動を始める。
・人間としての強さの自覚…自分には このような面もあったんだと気付く。
・感謝の気持ち…それまで当然のように思っていた 日々の出来事 命などに感謝の念が湧いてくる。
個人の存在を超えた力への畏敬の念…死者とのつながりを感じたり深い死生観を持ったりする。

途切れた道の その後を生きていく。その数というのは本当に人の数だけあるので、研究では この5つ全てをほんの少しずつ 経験される方もいらっしゃれば そのうちの1つだけを強く経験される方も あるいは その実感がどれもないという方も もちろん いろんな方がいらっしゃいます。

(江川)ありのままとは何か?というところも 自分では分かんなかったりしますしね。
ただ 善悪で あるいは優劣で評価をされないで 存在してること自体が やっぱり尊いことだと 自分で思えるような状況になることが その人が困難な時に 自暴自棄にならずに まだ別のやり方があるんじゃないかと思う力に なるんじゃないかという感じがします。

イラクで人質となりバッシングを受けた今井さん どんな境遇にある若者でも、自分の未来に希望が持てる社会をつくりたい

神戸に暮らす今井紀明さん 37歳です。2人の子どもとパートナーと4人で暮らしています。
今井さんは 19歳の時ある事件で人生が一変します。
高校生の頃から国際支援に関心を持っていた今井さん。アメリカ同時多発テロが起き 1か月後にアメリカ軍が アフガニスタンで空爆を始めてた。報道を見て 子供達の不条理な状況を変えたいという思いがあり イラク戦争が始まった翌年の2004年、日本政府が現地への渡航をやめるよう勧告を出している中 ジャーナリストと共に現地に入ります。しかし イラクに入って間もなく武装勢力に人質として拘束され、その後 無事解放。
しかし帰国後 待っていたのは「自己責任」の大バッシングでした。自宅には批判の手紙や葉書5万通以上が届きました。そこに書かれていたのは今井さんへの暴力的な言葉の数々でした。

(今井)世界が一変したんですよね。もう歩いたら いろいろ言われるんですよ。「お前なんて死ねばよかったのに」とか。パニックになるんですよね 本当に。急に泣きだしたりとか 急に怖くなったりとか。絶望よりも 地獄よりも苦しい
社交的な性格だった今井さんですが 対人恐怖症になり 家に引きこもります。
日本で暮らせないと感じ イギリスに語学留学をしますが 孤立し 9か月で帰国。
その後 九州の大学に入りますが 人と話すのが怖く 精神的に不安定な状態が続いていました。
今井さんが少しずつ変わり始めます。きっかけは事件に関心を持たずに気楽につきあってくれる友人
できたことでした。
引きこもりのアウトリーチ(訪問支援)に近かった。家に朝7時ぐらいになったら来て授業に連れ出すんですよ。その友人は今井さんが心を閉ざしていることに対して「向き合わないといけないのでは」という
言葉をかけました。
卒業後 大阪で専門商社に就職。営業の仕事をしながらも 本当にしたいことは何か模索していました。
そんな時 通信制高校の教員と知り合い やりたいことが見つからない若者が多いことを知ります。
すると そんな若者と向き合いたいという気持ちが湧き起こりました。不登校とか 引きこもりの子たちの
支援って今でも弱いので 何とか仕組み化し 支援したいと想い 会社を辞め 26歳の時 NPOを立ち上げ生きづらさを抱える10代をサポートする事業を始めました。認定NPO法人D×P(ディーピー)
自分の夢を語ってもらったり 職場見学や仕事体験をしてもらう 取り組みなどを行ってきました。
活動を始めて 10年。僅か数人で始めたNPOですが 今では スタッフは 30人以上にもなりました。
コロナ禍になってから特に力を入れているのが相談事業です。
ユキサキチャットで、不登校 中退とか SNSに登録するだけで無料で相談できる仕組みを作りました。
今井さんが許可を得て 17歳の少女の相談を見せてくれました。
もともと施設にいた方で 少女は お金や住む家がないという深刻な状況でした。今はアプリで知り合った方の家を点々としています。少女の安全を守るため どんな住宅なら 入ることができるかなど 情報を提供し サポートしました。今 アルバイト得て 収入安定してて 今は暮らせてる状況にある。
活動資金は企業や団体 個人から寄せられる寄付金です。
そうした資金をもとに 緊急性の高い若者には 現金給付や食料支援を行っています。これまでに届けた食料は8万食を超えました。寄付する人や ボランティアも増え支援の輪が広がっています。
若者が1人で抱えている悩みを共に分かち合い 向き合いたい。その思いは ますます強くなっています。
「共に生きられるようにしていきたい。そういった社会があっていくと どんな状態でも 希望が持てるようになっていくと思う」

(江川)やっぱり相当の時間がかかって そして いい友達との出会いがあって そして新たに やりたいことも出会いですよね。それが彼を成長させたということなのかなと思いながら 見ていました。

(宅)当事者の方は本当に ほっといてほしい という気持ちもありつつも でも何で自分だけが こんなに苦しんでいるのに 社会は ほっとくんだという気持ちも 本当に いろんな気持ちを 抱えていらっしゃるわけです。そういった時に エキスパート コンパニオン。相手のペースを尊重して せかすことなく 答えを出すことも急がせることもなく ただ本当に そこに一緒にいてくれる人。すごく その人にとって救われる といいますか 助けになるような そういった出会いになるということが分かっています。
それは心理の専門家だけではなくて 誰でも エキスパート コンパニオンとして接することができます。

(宅)一歩 少し引いて考えると、個々に起きたトラウマ今の世の中が抱えている問題が そこに 表れているということがあるわけです。
そうすると突きつけてくるものを我々 みんなが受け止めて これをじゃあ ここから次世代に 同じことが起きないためには どういうふうにしていこうか。それも含めて丸ごと 社会が理解していくような そこにつながるというのが やはり 今日のようなお話を聞くことの意味 大切さだというふうに 私は すごく強く感じます。

▽まとめ&感想

ショックな出来事があっても 人間の成長がある。本当に皆さん大変なことを乗り越えて 人に寄り添って思いを聞いてくれる人達でした。私には出来そうもないことばかりですが こういった話を聞くことも大事だと思いました。