新説所JAPAN 京都二条城 信長より怖い家康の本性 天守2つの謎▽まとめ&感想

フジテレビ 2月3日(月) 放送
出演者: 所ジョージ 谷元星奈
ゲスト: 柴田理恵、千田嘉博(城郭考古学者)、田中直樹、Dream Ami、パックン
ロケリポーター: 磯田道史(歴史学者)、千田嘉博(城郭考古学者)、つるの剛士

世界遺産・二条城!徳川家康が京都に城を建て、豊臣恩顧の大名に、徳川は手の届かない存在と認識させた。二条城の天守は秀長の大和郡山城より移築、信長(2つ)、秀吉、家康の二条城が有った。天皇のと密接な関係を築き、名実ともに天下人の証を得た。家光が二条城行幸を実現し、徳川幕府の長期政権を実現

二条城の虎の障壁画や薄暗い空間は徳川家の権力の大きさを実感させた

二条城が完成したのは、1603年、関ヶ原で家康勝利したものの、江戸はまだ地方の城下町に過ぎない。まだ秀吉の遺児秀頼がおり、豊臣恩顧のもの達が残っていた。
京都にお城を作ることで、天下の政治をコントロール、公の権力だと示す大事な役割があった。

千田先生達は、東大手門から入り、天守がない(このことは後で重要に)。
重要文化財の唐門は見事な金箔細工があり、戦いのための城でない事がわかります。
二の丸御殿へ、遠待 (とおざむらい) は将軍と面会する大名の控える場所で、「虎の間」とも呼ばれています。薄暗く、獰猛な虎と豹の障壁画(目が青く不気味に光り怖い)や壮大な空間は徳川家の権力の大きさを実感させた
磯田先生も合流、ハイテンションです。
二の丸御殿の廊下を歩いていると、キュッキュッと床から音が出ますが、これは「鶯張り」(うぐいすばり)と呼ばれる構造で、敵の侵入にいち早く気が付くためのものではなかった。
端を歩けば音は出ず、 鶯張りの音は、徳川方が、大名を動きを把握するためのもの。
薄暗い廊下を、何度も曲がらせるのも、まっすぐ見せずに、権威を保つ目的があった。

大広間 将軍を遠くに見せ徳川は手の届かない存在と認識させた

家康と対面する大広間、将軍を遠くに見せるため、松の障壁画を上手に使い、千年松の下に岩、殿様がいて、盤石であると示した。天井は高く、二重の折上格天井 になっており、特別に偉い方が座る場所と権威を示して、神のようである、徳川は手の届かない存在と認識させた
圧等的な権力で、政治の主導権を握り、徳川の長期政権を目指した。
さらに奥の、白書院は将軍が寝泊まりする部屋、障壁画も穏やかな水墨画、家康は倹約家であった。二条城は政治のための演出だった。

二条城の天守は秀長の大和郡山城より移築

驚くべき仕掛け、豊臣秀頼を屈服させるため、二条城の天守は大和郡山( 豊臣秀長の居城 )に有ったものを 春日大社の祟りがあると移築。 「愚子見記(ぐしけんき)」に記載されている。
二条城を描いた 洛中洛外図には、 大和郡山城の天守がある。
発掘で、 大和郡山城礎石と淀城礎石は完全一致。
この時期の二条城を描いた 洛中洛外図には、 天守が2つある。
建てられた場所、二条城の西の端、織田信長の二条城が有った。
実は二条城は4つ有った。京都御所の西脇に1つめの信長の二条城、その南に2つめの信長の二条城 、その西に豊臣秀吉の二条城 、さらに西に家康の二条城。(1km以内に4つ)
天皇のと密接な関係を築き、名実ともに天下人の証を得た

家光が二条城行幸を実現し、徳川幕府の長期政権を実現

三代将軍家光が、天皇を二条城に招き、親密さをアピール。信長は安土城に招こうとしたが、断念。秀吉は、聚楽第に招いた。

また徳川家が天皇をもてなした際の献立表が京都の老舗料亭萬亀楼に残されていた。
全長22m の絵巻物、5日間すべての料理が、絵入りで示されていた。そこには、日本全国の珍しい食材を使った豪華料理が、有った。鶴の汁(紅白で身分の高い鳥)、高盛り(高級食材をうず高く積み上げ、天皇への経緯を表した)。今回 再現していただいた、真ん中はご飯、右は今日では珍しかった、鮭の刺身の高盛り 、左は豪華な、からすみの高盛り、 そのお味は最高でした。
金メッキされた食器鉄のように強い徳川と天皇の金の権威で、盤石の徳川幕府。

天守が2つの謎、家光は秀吉の伏見城の天守を二条城へ、二条城の天守を淀城へ、天守入れ替えの非常に大事な絵画資料でした。 二条城行幸は大成功を収め、徳川幕府の長期政権を実現した。

二条城その後のエピソード

あの大広間で、徳川家最後の将軍慶喜が大政奉還を行った。
大政奉還後 慶喜は二条城の正面の門ではなく将軍が使うことない裏口の西門から去っていった

西門に建築物に残る、 文久2年の落書きが今も確認でき、徳川幕府が緩んできた証。ちなみに、門を開けると隠れて見えません。

▽まとめ&感想

徳川家康が京都に二条城を建て、豊臣恩顧の大名に、徳川は手の届かない存在と認識させた。二条城の天守は秀長の大和郡山城より移築、信長が2つ、秀吉、家康の二条城が有った。天皇のと密接な関係を築き、名実ともに天下人の証を得た。家光が二条城行幸を実現し、徳川幕府の長期政権を実現 。

番組の先生も、ハイテンションでしたが、私も楽しめました。
家康が、腹黒く、頭が良く、戦いで血を流すことなく、長期政権をつかんだかよくわかりました。
秀長の大和郡山城の天守を、二条城に移築、その後淀城に移築。 秀吉の伏見城の天守を二条城に移築なんて、思いもつきませんでした。
西門の落書き、残っているなんて、驚きました。