Eテレ 3月13日(金)午後 8時00分~ 午後8時45分 「亡きあなたと、共に生きる」
【講師】上智大学グリーフケア研究所所長…島薗進
【司会】賀来千香子,小澤康喬 【語り】山根基世
東日本大震災から9年。大切な人を失ったり、ふるさとを奪われたりしながらも、今を生きる人たちを取材。★悲しみを吐き出すことで自分を取り戻した人。語り部として、自分を形作った両親やふるさとの尊さを訴える。★夢で、亡き妻と再会することが生きる希望になっている人。夢日記をつけ、共に今を生きる。研究者が注目する夢の意義とは。★宗教者による移動式の喫茶店。ボランティアで、被災者の悩みに耳を傾ける。物語の力。
出典:NHK HP
石巻市 あゆみ野地区 でお坊さんのカフェデモンク
石巻市 あゆみ野は 被災復興事業 で新しくできた地区です。
僧侶や牧師が、ボランテアで開く、移動式喫茶店、カフェデモンク(モンクは英語で僧侶)でお茶やケーキが振る舞われます。
「あなたの文句を聞きながら、悶苦します。」こんな看板が出ています。
ガンジー金田さんがお茶を飲みながら、雑談に応じています。
突然、女性が泣きだしました。やっとこさ、落ちついたと思ったら、2年前に夫が亡くなった。
生きる価値、生きる意味は?
…相手の話を伺い、時には沈黙も。傾聴します。
こうやって、集まって、同じ時を過ごす事は、何か意味があるのでは。
常連の女性、集まる人の世話もかってでてくれます。悩みを一人で抱え、なかなか口に出せずにいた。金田さんから、声を掛けられ、少しずつ、話していたら、楽になった。
気になる女性がいます。4年前、同居していた母親を亡くし、哀しみを紛らわすために、町内会のイベント担当を引き受けています。新しいつながりを作るのは、大変です。
金田さん「ちゃんと泣ける場所あるの?」
女性「ない!」
金田さん「 あまり張り詰めてやると、ポキンと折れるぞ。折れる前に電話ちょうだい。」
頑張ってる姿に、気がついてもらって、うるうるしています。
いざという時の、駆け込み寺が出来ました。
【東日本大震災 心の傷を癒すということ】被災地のお寺の住職は、被災した人々の心を支えました。https://t.co/eEYBsWo6Np
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) March 13, 2020
そして今も続いています。#傾聴カフェ #カフェデモンク #あしたも晴れ #人生レシピ #僧侶 #金田諦應 pic.twitter.com/5qLXeWtj4N
石巻 南浜つなぐ館で語り部
上智大学グリーフケア研究所所長 島薗さん
哀しみと共に、どう生きていて行くのか、その支え合いについて研究。
震災から9年経ちました。震災でいろいろあって、仮設に住み、現在は復興住宅になり、住みやすくなったけれども、人間関係が薄れ、心のケアは必要。
悲しみ、つらさ はなくならない。
「喪」の仕事、人間はやっている。大事なこと。共に、悲しみを分かち合う。
石巻 南浜地区で生まれ育った女性。ここは、ぎっしり住宅街ですが、今は、住むことが出来ません。両親を津波で亡くしました。ふるさとの、面影はありません。
ここに、南浜つなぐ館が、ポツンとあります。見学に訪れた、東南アジアの大学生に対し、震災体験を、英語で語っています。これまで170回ほど、語ってきました。震災の語り部と呼ばれる人達、約50人活動しています。
家も町も全部なくなってしまったけど、話を聞いてくださった方の中に、「父と母は生きていた」というかすかな証として残るんだと、実感できた。
数年前まで、自宅に、引きこもっていた。
震災時、40キロほど離れた塩竈市に住んでおり、当日、石巻に向かったものの、道路が陥没し、引き返し、3日後に、崩壊していた自宅で、亡くなったばかりのような、母に再会。
どうにかして、帰っていれば、助かったんではないかという後悔。
グリーフケアの集いに参加したことで、心を閉ざすきっかけになった。
小さいお子さんを亡くした方が、マスコミに注目され、私はスルーされ、被災者じゃないと傷ついた。夫と息子もいるものの、あなたは1人でないとテレビは言うけれど、私は1人だ。
転機は2014年冬。震災体験を語るスピーチコンテスト。主催者から、言われた、「一見、被災者でなくとも、とっても苦しんでいる、大人の人がたくさん、いると思います。その人達に、勇気を与えます。」
テーマは、「今を生きる」。震災後、はじめて、存在感を感じた。命の語り部として生きていく。
孤独だと苦しんでいる、私を助けてくれたのは、やはり人だった。
助けてくれた手を、握り返したら、その人が引っ張り上げてくれて、また世界が新しくなった。
勇気を出して、一歩進むと、自分の世界が拡がった。「つらい」「苦しい」「助けて」と言って良いんだ。
亡き人と夢で語ることで、生きる希望を見いだした
仙台市 東北学院大学 金菱ゼミの人達は、遺族の見た夢を書き留めた。
- 小学6年の子供が母親に、成長した制服の姿を見せに、来てくれた。
- 11才で亡くなった妹と、夢で遊んだ姉(肌の暖かさ、重みを感じた)
- 31才で逝った息子と夢で、会話した母親
亡くなった人からのプレゼントと感じられる。
山元町で、妻、1才の次女を亡くした、介護施設に勤めている男性。夢を記録しています。魂の絆
- 荼毘に付した夜…妻は、砂嵐の中、マスクをして、傷んだ顔を隠していた。娘は手を振っていた
- 半月後…言葉を投げかける。戻りたい、私いないとつまらない?諦めたんでしょ?(奥さんは、同じ職場で何でも話せる間柄だった)
- 2012.11…お化けだぞ、鼻をかまれた感覚(ちょとだらけていた)➡長女のため気持ちを入れ替えた
- 2016.1…何もしてあげられないよ、でも信頼している、待っている。➡再会の指切りをしました。➡夢の回数が減った。
2人に見守られながら、共に今を生きる。
新たな一歩、自費で開いた「遺族サロン・スタジオ」2017.7 オープン
悲しみを、分かち合える場所を作った。
学生時代、バンドを組んでいた。また音楽を楽しむ拠点が欲しかった。
練習してたのは、奥さんが好きだった「やさしい気持ち」chara
昨年3月11日、2人が見つかった場所を訪れ、奥さんの腕時計を見つけた。震災から8年思いがけない再会でした。
▽まとめ&感想
石巻市 あゆみ野地区 でお坊さんのカフェデモンク。お坊さんが話を良く聞いてくだされ、救いです。
石巻 南浜つなぐ館で命の語り部をすることで、自分が救われています。
亡き人と夢で語ることで、生きる希望を見いだし、 8年後、奥さんの腕時計を見つけた 人がいました。
不謹慎ながら、もう震災から立ち直ったと思っていた、自分がいました。
まだまだ、心の傷が癒えていないことに気がつきました。
「 あまり張り詰めてやると、ポキンと折れるぞ。折れる前に電話ちょうだい。」 といってもらえるのは、ありがたいですね。
亡き人を夢で見られる。最高のプレゼントですね。夢のやりとり、ドッキリします。
8年ぶりに、奥さんの腕時計を見つけられ、本当に良かったですね。