大河 徳川慶喜 第14回 「押しかけ登城」▽あらすじメモ▽

チャンネル銀河 2020/10/2(金) AM8:00~

朝廷の許しのない日米修好通商条約が調印され 京に宿継調書で知らせた

安政5年(1858)6月19日 日米修好通商条約に調印され 祝砲が鳴り響きます。

一橋家 松島(岸田今日子)は、庭の塀越しに話しているのを聞いで、異人に降参したと 慌てふためいて、徳心院直子(鶴田真由)美賀(石田ひかり)のいる部屋に駆け込んだ。
松島は、「異人達は、人の血を吸う。異人に仕えなければならない。」
これを聞いた美賀が気を失う。
そこに、刑部卿慶喜(本木雅弘)来て、大砲の音は、条約が成就した、祝砲だ。
直子は、「人を怖がらせるな」と松島に注意する。

慶喜は、平岡円四郎(新井康弘)中根長十郎(信太昌之)に、条約調印は仕方ない、しかし主席老中を京に遣わし、伺いを立てている。その結果もう一度協議し、朝廷の許しを得るはずが、大老が勝手に調印したことを怒っていた。

たみ(水野真紀)新三郎(藤木直人)を探して、新門一家を訪ねる。
戻ってきたれん(大原麗子)に3年行方知らず、何か手がかりはと尋ねるも、れんに 知らないといわれる。話を聞いてもらい泣きじゃくる たみ。

水戸藩 江戸小石川上屋敷 平岡が訪れた。
安島帯刀(井田州彦)は、「飛脚を出し、宿継調書で京に伝えたそうだ。老中が上洛すれば、穏やかなのに、1編の書状を飛脚に持たせるとは。」
奥右筆頭取 茅根伊予之介は「政は、あくまでも将軍が決めるものと、朝廷の意向など歯牙にもかけないと胸を張りたいのだろう。飛んで火に入る夏の虫だ、攻め時だ」
帯刀「明日にも、京に人を送ろう。将軍継嗣の芽も出てくる。」

斉昭(菅原文太)に、安島茅根が、一橋様からの、使者によると、朝廷には宿継調書で条約承認を伝えたとのこと。無断で調印 堀田備中守がお役御免、全権の井上 岩瀬も左遷された。
井伊直弼は部下に責任を押しつけた。

慶喜 登城 井伊直弼に対面 詰問するもいなされ、斉昭達も押しかけ登城

江戸城
翌日 慶喜は登城日であった。井伊掃部頭直弼(杉良太郎)に慶喜が登城し対面、慶喜は勅許のない条約調印を責め、詰問しますが、井伊は「恐れ入り奉りまする」を繰り消し 自分の責任を認めながらも動じ無かった。

慶喜「将軍の御養君決まりましたか」
井伊「内々に、紀伊の慶福様に」
慶喜「それはめでたい」
井伊「慶福様のあとを思し召しでありましょうや」
慶喜「ない」

慶喜は、戻ると、平岡に「いかがにございましたか」と問われ、「決断は早そうだが、考えが足りないようだ」
井伊は、戻ると、老中 久世大和守廣周(大和田伸也)に「刑部卿はいかがに……」と問われ「俊才の噂高いお方だが、自らご養君にならぬと 仰せになるなど 若いと言うこと」
「御 自ら」「そうじゃ、これで養君の1件は片付いたも同然」

新三郎(藤木直人)中山五郎左衛門(藤岡琢也)は連れだって、江戸に向かっていた。

登城日でない、水戸の斉昭(菅原文太)、慶篤(内野聖陽)、福井の松平春嶽(林隆三)、尾張藩主 徳川慶勝がそろって登城、押しかけ登城になり大騒ぎになった。
井伊直弼は新しい老中を任命しており、多忙だった。しばらくお待ちいただこう。

松平春嶽は、田沼家から養子に行ったため、別室で、待たされた。
斉昭達は、朝から待たされ、ようやく井伊に対面し、糾弾します。しかし老獪な応対の前に何の成果も無かった。
松平春嶽は、老中 久世大和守に対面するが、こちらも同様だった。
ご養君は、明日発表することを知らされる。

獅子身中の虫と斉昭らを処罰 13代将軍 徳川家定急死

新門一家を 深い編笠をかぶり 尺八を吹き 虚無僧の慶喜達が訪ねた。
れんが、奥に招き入れ、新門辰五郎(堺正章)と再会。
慶喜は、「わしは、無罪奉免になって、うれしい」
そこへ、中山五郎左衛門が3年ぶりが戻って、大きな声で叫ぶ。
慶喜がいるので、口を塞ぐ、辰五郎とおよし(清水美砂)
新三郎に子供が出来、生麦に一緒にいたこと、新三郎と一緒に出てきて品川で別れたと話す。
それを、戸の裏で、聞いていた たみ

慶喜様に要望され、れんおよし 芸者の格好になった。

13代将軍 徳川家定は、大病で明日をも知れなかった。

京のお上は、譲りたいと言っている。

公方様は、天下を乱すものは、容赦なくこれを罰するというご意向だ。
まず 不時登城の水戸藩の斉昭は、謹慎、藩主 慶篤は当分の間登城停止、福井藩主 松平春嶽・尾張藩主 徳川慶勝は隠居謹慎を命ずる。そして一橋慶喜にも当分の間登城停止とする。

老中 久世大和守は公方様がこのような時、処分するのはまずいのではというも
井伊直弼は水戸の老人を始め、御三家 御三卿 、将軍家に一番近い、親戚の間柄、それが外様大名を巻き込み、徳川宗家から、政を奪おうとしている。我ら譜代は、徳川宗家を守り、あの様なよこしまなものは、除かねばならぬ。獅子身中の虫でござる。

13代将軍 徳川家定 亡くなる。
死は半月以上伏せられ、公方様の命令と言うことで、斉昭達の処罰が発せられた。

▽まとめ&感想


朝廷の許しのない日米修好通商条約が調印され 京には宿継調書を送っただけだった。
慶喜 登城し井伊直弼に対面 朝廷をないがしろにしていると詰問するがいなされた。
斉昭達も押しかけ登城した。
獅子身中の虫と斉昭らを処罰 そんなとき13代将軍 徳川家定急死。

始め、押しかけ登城 変なタイトルと思っていました。
登城日なんて、有ったんだと思い 検索すると 斉昭の事が書かれています。
実は、本当にあったことで、驚きました。全然知らなかったことです。