チャンネル銀河 2020/10/2(金) AM8:00~
朝廷の許しのない日米修好通商条約が調印され 京に宿継調書で知らせた
安政5年(1858)6月19日 日米修好通商条約に調印され 祝砲が鳴り響きます。
一橋家 松島(岸田今日子)は、庭の塀越しに話しているのを聞いで、異人に降参したと 慌てふためいて、徳心院直子(鶴田真由)、美賀(石田ひかり)のいる部屋に駆け込んだ。
松島は、「異人達は、人の血を吸う。異人に仕えなければならない。」
これを聞いた美賀が気を失う。
そこに、刑部卿慶喜(本木雅弘)来て、大砲の音は、条約が成就した、祝砲だ。
直子は、「人を怖がらせるな」と松島に注意する。
慶喜は、平岡円四郎(新井康弘)と中根長十郎(信太昌之)に、条約調印は仕方ない、しかし主席老中を京に遣わし、伺いを立てている。その結果もう一度協議し、朝廷の許しを得るはずが、大老が勝手に調印したことを怒っていた。
たみ(水野真紀)は新三郎(藤木直人)を探して、新門一家を訪ねる。
戻ってきたれん(大原麗子)に3年行方知らず、何か手がかりはと尋ねるも、れんに 知らないといわれる。話を聞いてもらい泣きじゃくる たみ。
水戸藩 江戸小石川上屋敷 を平岡が訪れた。
安島帯刀(井田州彦)は、「飛脚を出し、宿継調書で京に伝えたそうだ。老中が上洛すれば、穏やかなのに、1編の書状を飛脚に持たせるとは。」
奥右筆頭取 茅根伊予之介は「政は、あくまでも将軍が決めるものと、朝廷の意向など歯牙にもかけないと胸を張りたいのだろう。飛んで火に入る夏の虫だ、攻め時だ」
帯刀「明日にも、京に人を送ろう。将軍継嗣の芽も出てくる。」
斉昭(菅原文太)に、安島と茅根が、一橋様からの、使者によると、朝廷には宿継調書で条約承認を伝えたとのこと。無断で調印 堀田備中守がお役御免、全権の井上 岩瀬も左遷された。
井伊直弼は部下に責任を押しつけた。
慶喜 登城 井伊直弼に対面 詰問するもいなされ、斉昭達も押しかけ登城
江戸城
翌日 慶喜は登城日であった。井伊掃部頭直弼(杉良太郎)に慶喜が登城し対面、慶喜は勅許のない条約調印を責め、詰問しますが、井伊は「恐れ入り奉りまする」を繰り消し 自分の責任を認めながらも動じ無かった。
慶喜「将軍の御養君決まりましたか」
井伊「内々に、紀伊の慶福様に」
慶喜「それはめでたい」
井伊「慶福様のあとを思し召しでありましょうや」
慶喜「ない」
慶喜は、戻ると、平岡に「いかがにございましたか」と問われ、「決断は早そうだが、考えが足りないようだ」
井伊は、戻ると、老中 久世大和守廣周(大和田伸也)に「刑部卿はいかがに……」と問われ「俊才の噂高いお方だが、自らご養君にならぬと 仰せになるなど 若いと言うこと」
「御 自ら」「そうじゃ、これで養君の1件は片付いたも同然」
新三郎(藤木直人)と中山五郎左衛門(藤岡琢也)は連れだって、江戸に向かっていた。
登城日でない、水戸の斉昭(菅原文太)、慶篤(内野聖陽)、福井の松平春嶽(林隆三)、尾張藩主 徳川慶勝がそろって登城、押しかけ登城になり大騒ぎになった。
井伊直弼は新しい老中を任命しており、多忙だった。しばらくお待ちいただこう。
松平春嶽は、田沼家から養子に行ったため、別室で、待たされた。
斉昭達は、朝から待たされ、ようやく井伊に対面し、糾弾します。しかし老獪な応対の前に何の成果も無かった。
松平春嶽は、老中 久世大和守に対面するが、こちらも同様だった。
ご養君は、明日発表することを知らされる。
獅子身中の虫と斉昭らを処罰 13代将軍 徳川家定急死
新門一家を 深い編笠をかぶり 尺八を吹き 虚無僧の慶喜達が訪ねた。
れんが、奥に招き入れ、新門辰五郎(堺正章)と再会。
慶喜は、「わしは、無罪奉免になって、うれしい」
そこへ、中山五郎左衛門が3年ぶりが戻って、大きな声で叫ぶ。
慶喜がいるので、口を塞ぐ、辰五郎とおよし(清水美砂)。
新三郎に子供が出来、生麦に一緒にいたこと、新三郎と一緒に出てきて品川で別れたと話す。
それを、戸の裏で、聞いていた たみ。
慶喜様に要望され、れんと およし 芸者の格好になった。
13代将軍 徳川家定は、大病で明日をも知れなかった。
京のお上は、譲りたいと言っている。
公方様は、天下を乱すものは、容赦なくこれを罰するというご意向だ。
まず 不時登城の水戸藩の斉昭は、謹慎、藩主 慶篤は当分の間登城停止、福井藩主 松平春嶽・尾張藩主 徳川慶勝は隠居謹慎を命ずる。そして一橋慶喜にも当分の間登城停止とする。
老中 久世大和守は公方様がこのような時、処分するのはまずいのではというも
井伊直弼は水戸の老人を始め、御三家 御三卿 、将軍家に一番近い、親戚の間柄、それが外様大名を巻き込み、徳川宗家から、政を奪おうとしている。我ら譜代は、徳川宗家を守り、あの様なよこしまなものは、除かねばならぬ。獅子身中の虫でござる。
13代将軍 徳川家定 亡くなる。
死は半月以上伏せられ、公方様の命令と言うことで、斉昭達の処罰が発せられた。
▽まとめ&感想
朝廷の許しのない日米修好通商条約が調印され 京には宿継調書を送っただけだった。
慶喜 登城し井伊直弼に対面 朝廷をないがしろにしていると詰問するがいなされた。
斉昭達も押しかけ登城した。
獅子身中の虫と斉昭らを処罰 そんなとき13代将軍 徳川家定急死。
始め、押しかけ登城 変なタイトルと思っていました。
登城日なんて、有ったんだと思い 検索すると 斉昭の事が書かれています。
実は、本当にあったことで、驚きました。全然知らなかったことです。